2013年4月5日金曜日

解けた魔法

昨日、キャンプした川辺からフィッツロイ山の麓の街エル・チャルテンまでは25kmほど。
エル・チャルテンからはアスファルトも復活するし、人口が8000を数える街なんてそれこそコジャイケぶり。
その前がチロエ島の町々あたりだろうからいかに辺鄙なところを走っていたか分かる。
街まで2時間もあれば着くだろうと、昨晩も降った雨で濡れた装備を無理やりカバンに押しこみ走りだした。

アウストラルを走りきって油断したからか、それとも大きめの石がごろつく路面の悪さのせいかは
分からないが、この25kmがえらく長かったし辛かった。
漕げども漕げども見えない街の影。適当にパッキングしたお陰で荷物がバタつく。
通り過ぎたバンに泥水をはねられて、ついには大声を出してしまった。

だから、街が見えて、路面がアスファルトに変わったときは本当に嬉しかったし、
正真正銘アウストラルが終わったという安堵感に包まれた。

そこから街のセントロへ向けて自転車を走らせると幅の広い道の左右には
いかにも高そうな立派なホテルが軒を連ねた。
安そうな宿、安そうな宿…とキョロキョロ探しているうちにいつの間にか街の外れまで出てしまった。
どの建物も立派で、アウストラルの感覚で言えばとても手の出せなさそうな宿ばかり。
でもってセントロっていったいどこだ?

セントロはこの街にはなかった。
僕の通ってきた広い通りがメインストリートだそうで、いかにも観光地然としたホテルと土産物屋が並ぶ。
安宿を教えてもらおうと地元の人を探したら、街行く人は派手なアウトドアウェアを身にまとった人ばかりだった。

あれ?
と思った。

急に、来てはいけない場所に来てしまったのではないだろうか。

ほんの、ついさっきまでいた世界とはまるで違う世界だった。

木造作りの褪せた平屋も、煙突からもくもくとけぶる煙も、寒いでしょうと薪ストーブに手招きしてくれるおばさんの姿も、何もかもがそこにはなかった。

あぁどうしたものかと、とぼとぼ街を歩いていると、前方から見たことのある顔が見えた。
ペルーのクスコで会ったショウコさんだった。
まさかこんなところで会えるとは思っていなかったけれど、助かったという気持ちになった。
彼女は今日この街を出るそうだが、彼女の泊まっていたホステルを紹介してもらいそこに宿泊することに。
そのホステルは、さっき通りがかった白壁の立派な宿だった。

値段もそこそこするが、それ以上にとても綺麗で、ドミトリーの部屋もシャワーもトイレもとても快適そうだ。

けれど、ちょっと違う気がした。

以前も書いたが宿を示すスペイン語はHotel,Hostal,Residensial,Posada,Pension等々たくさんある。
言葉でだいたいの宿のランクが分かる。

チリのHospedajeが好きだった。

オスペダへは宿のランクで言うと下の部類に入り、
わかりやすく言うと自分の家の空き部屋を利用した民宿。
だから同じような値段でも宿ごとに当たり外れも大きい。
でも、どの宿も家族経営なので宿の人との距離が近くてよかった。
家の子供がTVを見てる脇で食事をしたり、これ食べなさいと差し入れをもらったり、
無理を言ってキッチンを借してくれたりした。
そんなやりとりがあったから、どんな宿もそれぞれに思い出深い。

今目の前にあるホステルは、完全に経営と営業は別々の人が行なっている。
だから従業員は自分の仕事以上のことはしないしそれ以下にもならない。
宿のルールもきっちり決まっている。
単純にもっといい部屋を望むなら、もっとお金を積まなくてはいけない。
分かりやすくて、それはそれでいいのかもしれないが宿を探す楽しみがなくなる、とも言える。

ガイドブックによると、この街は冬が4000人、夏は8000人の人口だそうだ。
ホテルの従業員などはシーズンだけ住み込みで働きにきている人だそう。
そんなよそ者だらけでフィッツロイの観光拠点だけのために作られた街だから、
そりゃあ市民の憩いの場であるセントロの広場なんかなくたっていいよな。

はぁ、なんというかなんというか…

お金を出せばすべて解決してしまう世界に僕は帰ってきてしまったのだなぁ。
あぁ、カレテラアウストラル戻りたいよ。
と一人勝手にホステルの隅でいじけた。

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