2013年4月26日金曜日

世界の果ての世界一のパン屋

パタゴニアに入って一番の爆風から一夜明けて、
何とか嵐は峠を越えた模様だ。

今日は月曜日。
風切り音だけが轟くゴーストタウンのような昨日とはうってかわって
街は朝から忙しさを取り戻していた。

そんなリオグランデの街を横目に再び荒野へ。

初めこそ、街を出るのに向かい風で手こずったが
1時間もしないうちに、追い風に乗った。

5時間ちょっとの走行で110km先のトルウィンの村に着いた。

まだ走れる時間だったけど、ここにはちょっとした名物がある。
それは自転車乗りを泊めてくれるパン屋があるのだ。

このパン屋自転車乗りにもそうだが、
地元では大変な有名店で、実際にここに来るまでもいくつか看板を見かけた。

村に入ってすぐにそのパン屋へと向かった。

すると表にいたおじさんが『ようこそトルウインのパン屋、ラ・ウニオンへ』と言って
直ぐ様、お店の離れにある作業場の一角の部屋に僕を通してくれた。

部屋の壁にはたくさんのサイクリストのメッセージ。

多くのサイクリストを受け入れてきたからか、おじさんの案内も手慣れたものだ。
自転車はここで、トイレはこっちな、それと…とこんな具合に。

何となく一抹の寂しさを感じながらその案内を聞いていた。

大陸の末端まで来ると、通るルートは次第に限られやがて一本道になる。
フエゴ島に入った今、まさに僕は最後の一本道に乗ってウシュアイアを目指しているのだ。
ただそうなると、ほとんど教科書通りの決まった走りしか出来なくなってくるつまらなさもある。
あそこのエスタンシアで水を貰えて、この国境には泊まれて…などなど。

このパン屋もまさにそうだろう。
おじさんの慣れた案内を見ていて、たくさんのサイクリストを受け入れるにつれて、
お互いが互いに暗黙の了解の下、利用し利用しあっているんじゃないかと思った。
僕は、ここにある親切を当たり前のように貪っているんじゃないかと感じたのだ。

荷物を部屋に運び込み、街を少し散策し、部屋に戻ろうとすると
工場にいたおばさんが

『疲れたでしょう?エンパナーダ食べる?』

とその場で揚げたてのエンパナーダを僕に振舞ってくれた。

『そうそうコーヒーも飲むでしょ?待っててね』と仕事もそこそこに、コーヒーまで用意してくれた。
どちらも熱々のうちに有難く頂く。

おばさんは熟練の手つきでエンパナーダの具をこね、皮に包みながら僕と立ち話。
『日本ではふだん何食べるの?』とか『昨日はローラースケートの人が来たのよ』とか。

僕の方からも「このお店はいつからあるの?」
「昨日、リオ・グランデで一輪車の人にあったよ」なんて話すと
おばさんは『そうそう、来たわ!一輪車の女の子。私、一緒に写真取ったのよ』と興奮気味に、
その女の子が来た時の様子を話しだした。

いつもの多愛もない世間話だ。
けれど、こうして片言ながらちょっとした世間話まで出来るようになった
この瞬間を急に愛おしく感じた。

もうすぐ南米も終わる。

違う大陸に行けば、また再び言葉もイチから勉強しなおしだ。
英語でさえままならない僕が言うのも何だが、出来るだけその国の言葉でその国の人と話したい。
そりゃあ日本食も大好きだけど、その国の大衆食を食べて、それを自分のガソリンにしたい。
自転車を選んだ理由だって、バックパック旅よりもその国を知れるんじゃないかと思ったから。

おばさんは、『コーヒーおかわりしたかったら、これでお湯を沸かして自由に飲みなさい』と勧めてくれた。

そこには、心から僕ら自転車乗りを迎え入れてくれている優しい眼差しがあった。

ハッとする思いだった。
さっきまでの冷めた思いで、ここを訪ねた自分が恥ずかしい。

おばさんは、せっせとエンパナーダを作りながら再び僕との世間話を始める。
僕はエンパナーダから溢れる肉汁を上手に啜りながら、うんうん、そうだねーと頷く。

僕が話そうとすれば、僕の拙いスペイン語を聞き取るために、おばさんはラジカセのボリュームを下げて一生懸命に聞き取ってくれた。

たまらなく良い時を過ごすことが出来た。

ここには本物のホスピタリティがある。
壁に書かれたたくさんのメッセージがそれを物語っている。
本物はどんなにたくさんのサイクリストが訪ねようともブレずに本物なのだ。

そういえば村の入り口にある看板にはこんな文句が書いてあった。

“Buenbenidos Corazon De La Isla”(フエゴ島の心にようこそ)

トルウインには世界一素敵なパン屋があります。
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