2013年3月5日火曜日

この森に根ざす家族

自転車旅行に出る前、まだ会社勤めだった頃、
僕のお昼休みの過ごし方はランチを食べたあとは本屋に向かうことが定番だった。
経済誌や、週刊誌など色々なジャンルのものを手にとっては読みあさっていたが、
その中でもやはり多く手に取ったのは旅行記の類だった。

ある日、書店の一角に平積みされた本に目が止まった。
その本の表紙は、版画調で一人の男が森を嬉しそうに、
あるいは幸せそうに歌いながら歩いている絵だった。

著者の名前には見覚えがあった。
確か、先日読んだフリーペーパーで彼の記事を読んだ記憶があった。
中渓宏一さん。

2000年に世界旅行に旅に出た後、南アフリカでアースウォーカーのポール・コールマン氏に出会い
以後、彼とともに世界中で平和の木を植えて歩いた彼の半生がその本には綴られていた。

自転車と徒歩、それぞれの手段は違えど、どっちらも人力移動の旅。

その本を見つけた僕は迷いなくレジに持って行き、あっという間に読んでしまった。

なぜ、カレテラアウストラルの旅の話で彼の名前が出てきたかというと。

プコンに滞在しているときに、今後のルートの情報を調べていたら、
その中渓さん家族が今カレテラアウストラルで自給自足の生活を目指し移住していることを知ったのだ。
ちょうどその頃は、先日のブログに書いたW子に会いにサンティアゴに戻るとき。
思いがけない偶然が重なり、その偶然の流れに身を任せるように、中渓さんに連絡をとってみたところ
幸いなことに返事が帰ってきた。
普段は山奥の谷で電気もない暮らしを送っているそうだが、ちょうどその時は村に食料の買い出しやメールチェックのため出てきていたとのこと。

会社員時代の僕の上司は“良い流れは止めない”と口癖のようにいっていたので
僕も、この流れをとめちゃいけないと、プコンからここまでアメニモマケズ走ってきたというわけなのだ。

そうして到着した、ラフンタの村。
カレテラアウストラル以北の街と比べるのはさすがに酷だが、このあたりではそこそこの規模。
贅沢を求めなければ、十分にこのあたりですべてが揃うくらいの村だ。

ラフンタの村外れにあるキャビン棟から、“こんにちはー!”という声が響いた。
声につられてそっちを見ると大きな影と小さな影が2つ。

中渓さんファミリーが出迎えてくれた。

『よく来てくれたねー、ささ、こっちへどうぞー』
中渓家の大黒柱の宏一さんだ。
宏一さんは、とろけんばかりに目尻を垂らせた優しい笑顔で僕を迎えてくれた。
あの本の表紙で見たあの顔そのままの姿だった。

キャビンへ案内された僕。
キャビンでは奥さんの亜衣さんが食事を用意して待っていてくれた。

子どもたちは
『中渓一心です!!』
『幹太です!!』
と元気な声で挨拶をしてくれた。

子供たちが僕の荷物を運んでくれて、今日は中渓家のキャビンにお世話になることに。
わざわざ僕のためにベッドを用意してくれていた。

リビングに行くと亜衣さんの手作りのパンを頂く。
レーズンの柔らかな甘味がつかれた体に染み渡る。

『飲むよね?』
そう尋ねてきた宏一さんの左手には赤ワインのボトル。

気がつくと、あっという間に僕は酔っぱらい、自分のこと、旅のことを酔いに任せて饒舌に喋っていた。

本当は、せっかく訪ねるのだから、たくさんいろんなことを僕から聞かなきゃ!
と息巻いていたのだけれど、すっかりというか、
出会って一発目のあの宏一さんの笑顔でペースを持っていかれてしまっている。

『僕らも色んな旅人の話を聞くのが好きだからさ』
『僕も旅の途中で色んな人にお世話になったから、あつしくんもここでゆっくりしていってよ』
そう言ってくれる宏一さんの言葉にだいぶ救われた思いで、自分の旅について話した。

亜衣さんもうんうん頷きながらも、てきぱきと家事をしている。

贅沢できるのは村に下りてきたときだけだからねー という宏一さんに
じゃあ、小屋では節制してるんですねと僕が聞くと

『でもワインは毎日だよ』

と一笑する。


話の合間に、子供たちが
『これ、一心が描いたんだよー』
と一枚の絵を持ってきた。
『これがお父さんで、これが亜衣ちゃんで…』
絵に描いてあった♡マークに気づいて、これは何?と僕が訪ねると
『僕の名前はハートだからー!』

一心くんはまだ4歳。けれどちゃんと自分の名前を知っている。
素敵な名前だなと思った。

『幹太も描いたのー!』
そういって弟の幹太くんも僕に自分の描いた絵を持ってきた。

夕食に亜衣さんは牛肉と、とっておきの生卵を用意してくれていた。
『卵かけご飯は日本人のソウルフードだよね』
そういってみんなでいただきますをして食べる。

ぐずついた空模様が再び雨を落とす夕暮れ時。
少し寒いねと、薪ストーブに薪をくべる。

『うちのストーブはすぐ燃えちゃう割に暖かくなくってねー』
なんて亜衣さん。

そんなことを言いながらも、メラメラと燃えるストーブの炎はキャビンをじんわりと熱で覆った。

随分、昔に忘れ去ってしまった団欒という言葉が不意に頭に蘇った。
ちょっとした愚痴だけれど、実際はここでの暮らしに愛着じみた気持ちの裏返しのように思えた。
そして、その言葉にあまり意味はないのかもしれない。
でも何気なく言葉にすることで、会話が始まりその空間に団欒が生まれるように思う。

今時、特にインターネットでは特に顕著だと思うのだが、能動的でないと生きづらい世の中になった。
例えば情報を得ようにも、“検索ワードを入力する”“クリックする”といった行為を意識して行わなければ、
先へ進まない。
ちょっと昔はパラパラと本をめくるようなごく自然の行為で物事を知ることが出来たのに。

呼吸をする。瞬きをする。唾を飲む。本来生きるために必要な所作は意識しなくても出来るもの。
食べるという行為にしても、今や何を食べる?どこで食べる、どうやって、どこで買って、値段は?
何産の?…と数多くの選択肢を能動的にチョイスしてようやく食べるという行為に至ることが出来る。

宏一さんが冷えるねーと奥の部屋から上着を羽織って出てきた。
そう、それだけでいいのだ。
エアコンのスイッチを入れることも、断熱材の入った住宅を建てる必要もない。

生きることはやっぱりシンプルが心地いいのだ。

『明後日くらいに、僕らはカンポ(山小屋)に戻るからさ、
あつしくんがもし時間があるならカンポにもおいでよ』

カンポまで行けば、本当に電気もない暮らし。
電気のない暮らしなんで想像がつかないけれど、
僕達のご先祖さまもつい数10年前まで当たり前にやっていた生活。

きっとなるようになるし、この家族が目指す生き方に少しでも近づいてみたかった。
世界中で木を植えて歩いた人が自ら根を下ろそうとしているこの土地の暮らしを見てみたかった。

「ぜひぜひ!」

僕は即答した。

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