2013年1月22日火曜日

アンデス最後の峠 チリ再入

チリとアルゼンチンを分かつアンデス山脈。
3,000km以上国土を接しているにも関わらず、両国の関係は良いとは言えない。
人口の集中する中部において舗装路のまともな国境は唯一このリベルタドーレス峠しかない。
この峠の旧道には両国の大砲を潰して作った友好記念のキリスト像が立っているのがなんとも皮肉だ。
両国の垣根はアンデスより高いようだ。

道中、プエンテ・デル・インカと呼ばれる温泉成分が凝結した場所を横目に、
南米最高峰アコンカグアの登山口を過ぎると国境のトンネルに出る。
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かつては標高4,000m近いところまで登っての峠越えも現在は、3,100m地点にトンネルが掘られそこを通る。
ここは自転車通行不可なのでアルゼンチンの交通局がトンネルの向こうまでピックアップしてくれる。
最後のアンデス越えがなんとも消化不良に終わってしまうが、止むを得ない。
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3kmほどのトンネルの向こう側はチリ共和国だった。
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メイン国境だけあって、イミグレは非常に混み合っていた。
結局30分以上かかってようやく手続完了。
建物の外に出る頃は、日が暮れかけていた。

実は、今日はアルゼンチン側でストップする予定だったが、国境の街が日曜ということもありどこもやっていなく、
宿も営業していなかった。
仕方なしにその日にチリ入りしたのだが、チリ側は高級ホテルが立ち並ぶリゾート地帯だった。

到底手の届かない高級ホテルたち。
ただ、ここから下りに入るので、これ以上の走行は危険と判断。
どうにかここいらで夜を過ごさなければいけない。

それにアンデス最後の夜はどうしてもこの高地でキャンプして終わらせたかった。
というのも雪のかぶった山々に落ちるピンクの夕日が美しく、ここで泊まらなければならない使命感に襲われたのだ。

そこで、国境を出てすぐのホテルにキャンプさせてもらえないか、ダメもとで頼んでみたらあっさりとオーケーが出た。
しかも、客のいないロッジの庇の下を使っていいと言ってくれた。
ホテルはスキーの各国代表も合宿で利用するホテルにも関わらず、マネージャーの女性は
にっこり笑って“私が日本に行ったら、泊めてね”と言って快く泊めてくれた。
あっさり過ぎて拍子抜けしたと同時に、この笑顔が見たくてチリに戻ってきた気がする。
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そして、ロッジにテントを張った目の前には…
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このレイクビュー!!
ホテルの客室よりもどこよりも一番いい場所でテントを張らせてもらえたことに感謝。
山間に落ちる太陽を見送りながら、心地良い寒空の空気が体に入ってきた。
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コロンビアから始まったアンデス山脈との付き合いも、早半年以上が過ぎた。
もう南米の山道を走ることはないと考えると、こみ上げてくる感情は安堵や達成感よりも寂しさのほうが勝っている。
初めてのアンデスで登った丘の向こうに見えたヤルマルの街、4000mのパンパで出会った無垢な少年、
生命活動を拒否する無が広がる砂漠…
いつだって鮮烈な印象の残る場所の傍らにはアンデスがあった気がする。

またいつか戻ってきたい。

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