2012年12月28日金曜日

峠の向こうの街

昨夜はアルゼンチン側のイミグレ出てをすぐの分岐を間違った方に進み、仕方なしに道ばたで野宿した。
道路脇の窪地でちょうど風も避けれたし、光の加減で見えにくい場所。
と思っていたのは僕だけで、実際はたまに通るトラックから丸見えだったらしい。
事実、一台のトラックが僕のテントに気付き手を振ってきた。
まぁこんなところでキャンプしてる奴を襲う輩はこの辺にはいないだろうとそのままそこで朝を迎えた。
こんなところ。
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明けゆく世界は恐ろしいほどに寒く、寝袋から身を出した瞬間にどんどんと手足の末端から熱を奪われていった。
しんどい思いでやっとテントを撤収し、出発。
日向だ、とにかく日向を目指そうと身を震わせながら走る。
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相変わらずのガタガタ道、日向が遠い。
やっとの思いで太陽の下に出ると少しづつ熱が体に戻ってくるようだった。
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ひとまず本日の目標は30km先のオラパカト。
ここまでいけば小さなストアがあって各種補給が出来るらしい。

で、このオラパカトまでの道のりだが、何故か一枚も写真がなかった。
撮った記憶がある気もするのだが、現実一枚もないので多分取ってないのだろう。
というかオラパカト以降もしばらく写真がなかった。
その間の僕は一体どうしてたんだ??

ガタつくコルゲーションが続く開けた道の先にオラパカトはあった。
遠くからそれを視界に捉える。
村へは幹線から数百m外れなければ行けない。
その数百mがこれまででもかなりきつい深砂で手こずった。
たぶん、村の出入りでここを車が頻繁に通るからだろう。

人口100人未満ほどの小さな集落。
うらぶれた雰囲気の村だが、商店の一つくらいあるだろう。
その辺で作業していたおっさんに声をかけた。
すみません、お店はどこですか?
ぺちゃくちゃと話しだすおっさん。

どうもチリに入った辺りからスペイン語が聞き取りづらくなった。
そして早口だ。
もともと分かっていないのがさらに分からなくなる。
後で聞いた話だと、チリ・アルゼンチンのスペイン語はかなり砕けた言い回しが多いらしい。
砕けた言い回しとは言うもののほとんど別言語のように聞こえる。

その中で分かった言葉を繋ぎあわせると、おっさんは“この街に商店はない”と言っているようだった。
んな馬鹿な。もう行動食がないんですが。
改めて、今度は水が欲しいと言うと、あっちだと指をさし、裏だと言う。
指で示された建物には古びた飲料水の看板が。
ここが商店か?でも裏に回れってなんでだろうと思いながら行ってみるも開かない。
はて?
と思いつつ、やむを得ず近くの学校にいた兄ちゃんに聞くと、彼もまた“ない”という。
水は?というと学校の洗面所に通された。
そういえば、さっきの建物の裏にも蛇口はあったな…。
そんなわけで今はタイミングかもしれないがこの村に商店はないようだった。
水が手に入ったので最悪の事態は避けられそうだが、肝心の食料に不安が残る。
明日まで持つかな?
完全にこの集落をアテにしていた。

時刻は正午。
次の街までは約60km。
まぁ…
行くか。

というわけでシコ峠越えの一応の終点サンアントニオ・デ・ロスコブレスを今日中に目指すことにした。
この悪路の中を100km近く走るのは相当骨が折れるし、日暮れも刻々と迫ってくる。
でも以外とこういう差し迫った状況が嫌いではなく、むしろ好きな方だ。
今日はどこでキャンプしようかなーと目標なく走るより、
今日はここ!って目標が出来ると走りにも自然と力が入る。

変わることなく悪路は続く。
しかし、慣れてくるとアスファルトの平地を走るよりも時間の経過が早い。
常に状態のマシな路面を探して集中しているし、登り坂ともなれば下半身だけでなく
上半身、とくに腕に神経を注ぐ。
何よりも、最大限に軽くした自転車のギアと、僕のペダリング、定間隔の呼吸、山の傾斜とがいつの間にか
一体化している時間がたまらなく心地いいのだ。
もちろん苦しいけど、それ以上に自分そのものもアンデスの一部となっているような一体感。
コルゲーションでビートを刻んで。
そんな感覚に陥っていた。
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おかげでろくな写真が残っていないのが残念であるが。
まぁいいや。
形として残せない感覚を味わえたのだから。
そんな強がりを言ってみた 笑

やがてシコ峠の最高点4560mの峠を越えた。
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峠の向こう側はこれまでの高地の回廊のような景色とは一変し、
今いる場所を頂点として確実に標高が下がるのが一目で分かる。
故に見える景色もパノラミックだ。
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そんな景色とは裏腹に悪路の下りはしんどい。
ルート選びがスピーディーに展開されていくし、常に80%近いパワーでブレーキは握りっぱなしだ。
立ち上がって、膝と肘を使って衝撃を和らげ、こまめに前後に体重移動もしなければならない。
登りで感じたような一体感を得ることなく、全方向に神経を注がなければならない。
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この下りも気づくと間の区間の写真が消失していた。
なので上の写真の次は、もう下り終えた後。
いったい僕は何を考えくだっていたんだ…
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とはいえ、長い長い坂を下り終えると朽ち果ててはいるものの人家が目につくようになり、小川も並走するようになってきた。
サンアントニオの村が近いのだろう。
日が暮れる前にどうやら間に合った。
目の前に突然、大きな陸橋が飛び込んできた。
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そしてその陸橋を越えた瞬間、サンアントニオの街が始まった。
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待ってました、アルゼンチン最初の村!
チリ最初の街、アタカマと比べてどんよりとしてボリビアよりの雰囲気が強いアドベの家々が目についたが、
中心地のはずれには、画一的に同じ家が幾十にも並ぶ戸建の団地が形成されていた。
そして近くには巨大なパラボラアンテナ。
昔は鉱山の街として栄えた
こんなアルゼンチンの果てともいえるところまで、現代文明が押し寄せているようだ。
ボリビアっぽいと思えど、似て異なるところ。
ここはやっぱりアルゼンチンのようだ。

さて、街についた途端疲れたが一気に出てきた。
早いところ宿を探そう。
そう思ってセントロと思しき場所を走り回る。
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が、なかなか宿がみつからない。
あってもどうもしみったれた外観であまり食指が動かず。
僕の体を癒すには少々の清潔感が必要だ。
数km近く街を走り回ったところで声をかけたおじさんが宿を経営しているというのでひとまずついて行った。
案内された場所は、こう言っては悪いが、ボロ家。
どうも期待できそうになさそうと思いつつ、案内してくれたおじさんに悪いので、ひとまず中を見せてもらう。
驚いた。
外観と違って、内装は手が入っていて客室もめちゃくちゃきれいだった。
値段もまぁまぁだったので、ここで即決。
パネルヒーターまでついてるし。
暖房器具のある世界まで僕は五体満足で帰って来た 笑
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他の宿も中はこのぐらいきれいだったのかな。
しかし、この宿分かんないよなー。
だって看板すら出してないんだもん。
こんなところでした。
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