2012年9月21日金曜日

吹雪のネグロマヨ

三日振りの街プキオ。
ここに着く頃はヘロヘロのフラフラ、疲労困憊で着くと予想していたのだが、
街に着いて一夜明けても体は元気そのものだった。
それにプキオに降りてくるときに見えた山の続きを早く走りたくて一泊で出発することにした。

お次の街はナスカ~プキオ150kmを越える186km!!
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ただ、前回のように延々100km登りが続くということはないので上手く行けば2日の距離。

プキオ郊外からなだらかな傾斜の丘陵地帯を行く。
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大きな弧を描く道は徐々にプキオの街を遠ざける。
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おそよ30kmほど漕いだだろうか?
スケールの大きな丘の麓にポツンと佇む小さなレストランでお昼を食べることに。
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この頃になると風がだいぶ強く、風が落ち着くのを待つためもあって少し長めに休憩。
バスの休憩地点にもなっているようで12時を過ぎると店内はあっという間にお客でいっぱいになった。
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ランチを終えたあと、数kmの登りを終えるとアンデス高地に広がる平地のアルティプラノに再び出た。
左手には深い青を蓄えた大きな湖が。
ただし、昼前から吹いていた強い風の影響で大きな雨雲の塊が近くまでやってきていた。
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判断に迷った。
このままのペースで行けば確実に雨雲に捕まる。
早めにテントを張って、備えたほうがいいのではないか。
しかし、アルティプラノに出て自転車の進路が、風向きとピタリと重なり猛烈な追い風になっていた。
それにこの風を避ける屋根や壁になるようなものがこの辺りにはなかった。
地図に載っている集落まで約30km。

どうする??

振り向くと雨雲はもう目の前だった。
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やがて青空が広がる先の空も…
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真っ暗に。

そして…
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雪が降ってきた。
標高4000mを越えるこの辺りでは雨でなく雪になるようだ。

しめた!と思うと同時にまずいと思った。

しめたと思ったのは、雨より雪なら濡れによる体温低下も多少マシになるのではないか?ということ。
まずいと思ったのは、この時点で雪になるような気温ということは、もしかすると明日の朝道路が凍る可能性もあるかもしれない。

いろいろ悩んだ挙句、集落のあるところまで押し切ることにした。

防寒、防水装備を施し、追い風を受けて爆走。
雪は勢いを増して、吹雪になっていた。
時折、カーブの関係で風を正面に受けると一瞬で前半身が雪まみれになった。
体温に溶かされた雪が少しずつ衣服から染みこんでくる。

低温のためかサイクルメーターも作動しなくなった。

こんな状態で自転車を漕いでいる僕を不憫に思ったのか一台の車が“乗ってけ!”と声を掛けてきた。
それを、鼻水だらだら、鼻先を真っ赤にした雪まみれの僕は出来る限りの笑顔を作って
『ありがとう、でも大丈夫。』と答える。
シュールというかなんというか。

でも、こんなことで轍をとぎらせたくなかった。

周囲は雪を被り、視界も悪く。
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地図に載っていたネグロマヨに着く頃は雪も弱まっていたが
そこは宿もなく、数件のレストランがあるだけの小さな集落だった。
それでも風をしのげる場所があるだけでホッとした。

村の住民の許可を取り、広場にテントを張らせてもらう。

その後レストランに駆け込み、トゥルーチャ(鱒)の定食とお茶を頼む。
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正直な所、味は褒められたものではなかったが、温かい、ただそれだけで有り難さを感じながら食べた。
飯は急速に冷めていったので、その熱を逃さないように素早く口に運ぶ。
食うという行為が熱を摂る行為そのものだった。

レストランの娘の頬は赤いを通り越して紫色でカチカチに固まっていた。

おそらくここが年中、寒い証だろう。

そんな過酷な地において人々が生活を営む理由とは何なのか?
これまで自分なりにいろいろな場所を旅してきた。
それでもこの疑問に対する答えは全く見つからない。

ただただ、一旅行者の観点から言えばここで生活をしていてくれて感謝だ。

標高4500m近いこの地の夜は、身が切れるほどに冷え込んだ。
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