2012年5月27日日曜日

下山、生きる歓び、そして…

7時に山頂に立ち、9時頃には山小屋へ戻ってきた。

7時間近くかかった登りに比べ、下りは2時間しかかからなかた。
やはり下りは早い。

といっても急斜面を上ってきたと言うことは下りも同じ。
登頂の油断で下りで滑落なんてことないよう慎重に下りた。

それと自分は登りに比べて下りがとても苦手。
膝が弱く、ゆっくり降りないと下山した後大変なことになる。

それにしても、日がすっかり上って視界のひらけたコトパクシはたまらなく美しく
雪面に反射された太陽が輝き、時として神々しささえ感じさせるほどだった。
永遠の深い闇に見えたクレバスも神秘的なブルーに染まり、
氷壁からは、小学生の頃の僕が見たら大興奮してしまいそうな長い氷柱が無数に滴っていた。

ただし、滑落防止のためのザイルで互いにつながれているためそれらを写真をとる時間はなく
僕の心に焼き付けるのみとなった。

下山道中になると同パーティのベリンダはすっかり元気を取り戻して軽快に下っていく。
僕らより遅れて登頂したウルスラおばさんもひょいひょいっと下っていく。

一方僕はというと、登頂で体力を使い果たしたこともあったが
吹きさらしの風でお腹がヤバイことになっていた。

早く山小屋に駆け込みたいのに、苦手の下り。
焦ると滑落。
おまけに颯爽と下るベリンダとつながれたザイルが、僕のお腹に巻かれたハーネスを刺激する。
とてもリズミカルに。

やめろ、やめてくれぇ…

まじで八方ふさがり状態。

汚い話で申し訳ないが、正直もらすしかこの苦しみから解放される手段はないように思えた。

ギュル…

グルル…

グギュルギュルー!

僕の代わりに僕のお腹がSOSの悲鳴をあげる。

しかし無情にもその悲鳴は、氷河に吸い込まれ誰の耳にも届かない。

どうやら俺もここまでか…

僕は観念した。

生まれて27年と11ヶ月。悔いはない。

あ、でもパタゴニアは走りたかったな…

異国の地でこんなみっともない姿で 散る私を許してください…

そう、観念したのだ。



…したつもりだったのだが、ここで体力も精神力も尽きかけた僕に
不思議な変化が起きた。

体が、心が何も感じなくなったのだ。

なんだろう、この間隔!?

これが体のオートファジーってやつ!?(違う)

これが悟りを開くということ!?

悟りかどうかは分からないが便意も体力的な辛さも含め何も感じなくなったのは確かだ。
心は至って平常心。
もう早く山小屋ー!とかトイレ~とか何も考えなくなり
ただ粛々と歩くことしか考えなくなった。

ただし、悟りというものは煩悩が少しでも現れると一気に瓦解するようで
山小屋の黄色い屋根が見えた瞬間、全てを取り戻したかのように便意の苦しみが戻ってきた。

んぐぐ…

やっぱ涅槃への道は遥か遠いぜ…

でもあと少しだ。

黄色い屋根が見えたのはいいが、固いプラスチックブーツを履いた足取りは極めて遅く
おまけに2分に一度やってくるビッグウェーブがくると足が止まる。

おれは…

生きてかえるんだ…

うんこひとつで大げさな話だが、このときの心境は本当にこんなことを考えていた。

どうにか山小屋まで辿り着いた。

ただし、油断は出来ない。

トイレは小屋の離れにあるのだ。

それに誰か先客がいるかもしれない。

少しでも油断したら、待つのは死だ。

トイレまで時速2kmで猛ダッシュ。

ピッケルを投げ捨てトイレへ駆け込む。

先客は…

いない。

この勝負、俺の勝ちだ!!

最後の力を振り絞り、パンツを勢い良く引き下げる。

その刹那、便座に座り込むとほぼ同時に僕の体内溜め込まれた悪性物質をぶちまける。

『※□★△◎◆※★*$!!』

い、生き返ったァ~。

我が人生において最大級の安堵感。

僕は帰ってきたのだ。

僕は生きて帰ってきたのだ。

10分ほど便座に座り込み、生きる喜びを噛み締める。

さて、みんなも心配してるかもしれない、そろそろ小屋に戻ろう。









…… !





………!!

紙がねぇぇーーーーー!!!
(ここから先はご想像にお任せします)

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