2012年5月16日水曜日

キトの奇妙な宿

オタバロの村を出て役100kmの道程を2日間で走り、
エクアドルの首都キトに入った。

スペイン語で赤道(Ecuador)とそのままの国名を持つこの国の首都は
その赤道を跨いで南半球に位置している。

僕が走るパンアメリカンハイウェイ沿いには『世界の真ん中』と書かれた看板とともに
5m程の柱のモニュメントが建てられていた。

当然、僕もそのロードサイドアトラクションに立ち寄り、GPSで位置を改めて確認したり
赤道を跨いで写真を撮ったりとパナマ運河に続く、南北アメリカ大陸の一つの節目を満喫していた。

しかし。

そこで撮った写真はいま手元にない。

キトで泊まった宿でカメラを再び盗まれたためだ。


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キトに着いたのは土曜日の夕方。
その日は11時と遅めに出発したこともあり、都市圏に入るのが遅くなった。
市内に入ると、雨にも振られオタバロで清掃したばかりの自転車が早速のどろまみれ。
おまけにキトの手前20kmくらいから延々と上り坂が続き、さらに市内に入っても坂は続いていた。

普通、大都市に入る場合は安全のために午前中や午後一で到着するようにしている。

しかし、キトのセントロイストリコ(歴史地区)にはそのべらぼうな価格設定から世界中の旅人が
訪れる宿があり、事前に情報を仕入れていたので特に焦らず街に入った。

その宿はホテル・スクレ。

歴史地区の広場の角に立つこの宿はかつては一泊シングルで3$を切る値段だったそうだ。

キトでは日本から荷物を送ってもらう手筈になっており、中央郵便局留めで宛てた郵便局もこの宿の近くという利便性、
郵便事情が不安定なこの国でいつ到着するか読めない中、
荷物待ちでどこかに滞在しなければならないということに対して
現在の一泊4.5$という値段はあまりにも魅力的な価格だった。

ただ、この宿はもうひとつ別の顔があった。

“出る”
のである。

いや、何も幽霊が出るわけではない。

泥棒が出るのである。




都市圏に入って緩んだ気持ちに雨と坂道にやられてヘトヘトで僕はスクレに到着した。

レセプションのある二階にあげると名物従業員のホセが『アリガト、アリガト』と独特のダミ声で迎えてくれた。

部屋が空いているかと尋ねると、窓なしの部屋ならあるという。

昔、この宿は売春宿だったようで、恐らくその部屋は売春部屋だろう。

明日になれば、別な部屋を用意してくれるというので、
今日は近くの別なホテルに泊まろうかなと思って、他のホテルの場所を尋ねると
ホセは今晩も今日も泊まってけとしつこい。

まぁ明日、部屋を移れるならと今日も泊まることにした。

ホセは一階に停めた自転車を“盗まれちゃうからここに持ってきな”と
ホテルの角にあるリビングを案内してくれた。

正直、部屋まで持っていくのが一番の対策なのだが、今日の部屋は3階。
運び入れる体力が湧いてこず、案内されたリビングへ停めた。

リビングに自転車を停めていると、そこにいた宿泊客たちから“nice bike”とか“cool”とか言われ
少し僕は鼻高々に自転車から荷物を外していた。

部屋の準備を今からするから待ってくれと言われ、リビングで待っているうちに日が暮れた。
辺りは暗くなっているというのにリビングには明かりが灯されず暗いままだった。

この宿にはWi-Fiがないのだが、サンフランシスコ広場に面するその角のリビングだけは
広場に飛ばされた公共Wi-Fiと向かいのレストランの電波を拾うことが出来る。

自分のとこの電波でもないのにリビングの入り口には“Wi-Fi Zone”なんて書かれた看板を掲げていた。
暗くなったリビングを照らすのは誰が見てるわけでもないTVと野良電波につながれたPCの明かりだけだった。

そこで部屋の準備を待っていると、時折物売りがやってきてアクセサリーや食い物を売りに来た。
よくよく見ると、なんだか宿泊客ではなさそうな人も頻繁に出入りしていた。

嫌な予感がしたので、部屋の準備が整ったら結局自転車を部屋まで運び上げた。

3階に奥にある僕の部屋は、まさしく連れ込み部屋のそれのような様相だった。

窓なしの4畳半にベッドとゴミ箱。
裸電球のスイッチが有るだけで部屋に電源口すら用意されていなかった。
おまけに部屋の壁を塗り直したばかりのようで、強烈なシンナー臭が立ち込めていた。

そのくせ、壁の窪みに設けられた棚は手付かずのままボロボロで
そこに荷物を置くと真っ白な粉塵が付いた。

まぁ明日は部屋変わるし、この値段だし。

そう自分に言い聞かせ雨に濡れた体を温めるべくシャワーへ。
ガスで沸かしたシャワーは湯音も水量も豊富でよかったと思ったのもつかの間
しばらくすると、何故かドクン、ドクンと脈をうつように温水と冷水が交互に出るようになった。
おまけに温水の取手のところから熱湯が漏れ、取手を回そうにも火傷するぐらいあつい。

トイレも兼ねたこのシャワー室は朝晩になると入浴者がいるため、用を足すにも順番待ちになってしまう。
各階1つずつあるトイレは屋上のものは電気がつかず夜は使用不可、2階のものは便座がない。
唯一まともに使える3階のトイレもトイレットペーパーは用意されていないという有様だった。

久々のヒドイ宿に唖然としつつも、疲れていたので早々に就寝。
ベッドに横になって天井を見ると、天井は扉を3枚貼り合わせたような不気味な意匠だった。

翌日、12時がチェックアウトで12時半には部屋を用意すると言われていたので
午前中はどこにも行かずに時間を待った。

従業員のホセはまたダミ声で“オハヨ、アリガト”なんておどけつつも掃除をしたりシーツを干したり熱心に働いている。
ところが、約束の12時をすぎた頃、彼はリビングのソファで居眠りをしだした。

あれっ、部屋の交換は!?

そう思ってホセに要求すると“もう今日は空き部屋がない、明日だ明日”と言われてしまった。

僕の午前中が…

たぶん、部屋を交換する気ゼロだな。こりゃ…

ここラテンアメリカで彼らの言うことはこと全て適当だ、と言ったらラテンアメリカ全てを印象づけてしまうようで
あまりこういうことを口外すべきではないとは思うが、荷物待ちで長期滞在を予定していただけにこの共住環境かと落胆する部分は大きい。

しかし、リビングの済にドンと置かれたベッドを案内された人がいたり、まぁ使い勝手は悪いけれども温かいお湯がでるシャワーがあるだけでも
有難いと、日に日にこの独特の空間に馴染んでいった。

スクレ4日目の日。

馴染んできたといっても、ここは泥棒宿。
いかにも如何わしそうな目をした男やいつもバスタオルを巻いたままウロウロしている中年女など
油断は出来ない状況は相変わらずだった。
僕は防犯のために、部屋の明かりは常につけたままにしていた。

夕方、部屋で少しうつらうつらとしていたら何かの違和感を感じた。
目を開けるとく、そこは暗闇の空間だった。

電球が切れたようだ。

あららと思って電球の替えをもらいにレセプションへ。

しかし、レセプションの女は替えの電球はないという。

はぁ!?窓なしの奥の部屋でなにも見えないのにどうやって過ごせというんだ?!

女は明日準備するといってるが、どうせ部屋替えの時と一緒でそんなつもりないんだろ。
(案の定翌日になっても電球の話は一切出なかった)
電球切れで初日に感じた宿への不満が再び噴出した。
ふざけんなと思いつつ、このままでは夜を過ごせないので自分で電球を買いに行ったが
周りのお店は既に店じまいをしていた。

やるせない気持ちを抱えたまま、しかし部屋では何も出来ないので
やむを得ずリビングにPCを持ち込んで、メッセンジャーで友人にこの宿の不満を話していた。

相変わらずリビングも明かりがついていないが広場からの明かり、TVの明かりがあるだけまだましだった。
薄明かりの中、TVを見ている宿泊客の『イーッヒッヒッヒ』と汚い笑い声が延々と響き
僕のイライラは決壊寸前だった。

PCの充電も切れかけた20時前。
もう仕方ないから今日は寝ようと部屋に戻る。

その時、通路に使われていない電球があるのを発見した。
そこの電源をつけてみるときちんと明かりがついた。

そう言えば、屋上のトイレも電球がついていなかった。
たぶん、僕と同じように部屋の電球が切れて、替えの電球をもらえなかった人が
トイレの電球を持っていったのだろうか。

通路の電球は見たところ、取ってしまっても特に問題のなさそうな場所にあったので
これを部屋の電球に移植することにした。

クルクルっと電球を外して、部屋に戻る。
そうすると、部屋の鍵がきちんとかかっていないことに気付いた。

電球切れのイライラと暗闇の中だったので、きちんと確認出来ていなかった。
すぐに部屋に替えの電球をつけて見渡す。
特別変わった様子はない。

暗い中だったので部屋は少し散らかっている。
荒らされた散らかりっぷりではない。
あくまで自分で散らかしたものだ。

片付けて寝ようと、荷物を整理する。
と、コンパクトデジカメがないことに気付いた。

僕はあれっ思う前に、すぐ盗まれたと確信した。

と思いつつも念のため荷物を全部バラして、ベッドも毛布をとって探した。
が出てこない。

この時、僕はカメラが無くなったことに特に焦りはなかった。
“あぁ、やられたか”と冷製だった。
1ヶ月分まるまるの写真データがなくなったニカラグアのときと違って
今回はキト到着前まではデータも移してあったこともあるだろう。

それにここ数日キトを歩いてみて、予想以上にモノが溢れていたので
すぐに代替品を買えばいいやと切り替えれた。
カメラ以外の貴重品も部屋にあったのに被害がカメラだけでよかった。

さっき宿に対して怒りがメラメラと燃えていたのと
まるで対照的に落ち着いていた。

まぁ仕方ない。
自分にも非がある。
しかし泥棒宿で泥棒かぁ。

なんて苦笑しつつ、床についた。

さすがに眠る前になると、この盗難事件について考えてしまう。
犯人はだれだ?
そう言えば、向かいの部屋の現地人が僕が通路の電球を外している時、
なぜか部屋の扉のすき間からずっと覗いていたな…
まさかあいつが…?
とはいえ証拠はないし…
つっても僕の部屋は一番奥で、ここ数日いた中で、わざわざ奥の僕の部屋まで来る奴は
あいつぐらいだけだったし、今日に限って電気が消えてる変化に気づくのもあいつぐらいのはず。
電気が消えいて、僕がリビングに居るのを確認していれば部屋は無人だってわかるし…。
そんなチャンスを狙っていたところに、僕もヘマをやらかしたんじゃないか。
カメラだけ盗られたのは、直前までPCのUSBからカメラを充電していて
PCをリビングに持って行く時、一番わかり易いところに無造作に外していったから
暗闇で見つけた貴重品はカメラだったってことか…?
いやいや、人を見かけで判断しちゃ…
つーかこんな宿にこなければ…

と悶々と考えてしまった。

そうすると目も冴えてしまい、とうとう眠れなくなった。
パチっと目を開けると、扉のような天井が飛び込んできた。

窓もない密室空間にいて宿も客も信用ならないとなると
思考回路も少し狂ってしまうらしい。

その天井を見て僕は、もしかしてこの天井は本当に扉で
ここからだれかが部屋に入ったんじゃないかとさえ疑ってしまうのであった。

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