2011年11月16日水曜日

アグアスカリエンテス つかの間の日常

唐突で不思議な出会いの翌日。
タチートさんは『明日も来いよ』って言ってくれたが本当に行っていいものか
少し不安だった。

けれど、恐る恐る浅草のベルを鳴らすとその不安は一瞬でかき消された。
(防犯対策のために常時入り口は施錠されている。僕が前日に鍵かかっていて引き返したのも
実はベルに気付かなかったというオチだった。)

『おぉ!きたかー、待ちくたびれたよ!朝飯食ってないんだろ?まあ食えよ!』
と言ってくれたことが、素直に嬉しくホッとする。

この日は土曜日。日本では秋日和に運動会を行うように、こちらのアグアスカリエンテス日本人学校でも
翌日曜日に運動会を控えていて、浅草にはお弁当の注文が約200個入っていた。
聞けばこの200個を徹夜で準備するという。
僕が浅草を訪ねた時はお弁当の仕込みをしていたところだった。

前の日も、この日も食事をご馳走になったお礼が少しでも出来ればと思って
お手伝いをさせてもらうことに。

仕込んだ煮物をカットして200個分に切り分けたり、煮玉子をアルミ箔で包んだり…
時間にして3、4時間程度のお手伝いだったが、仕事を辞めて以来、実に5ヶ月ぶりに誰かのために
何か作業をするということをした。
そして、仕事をした後で、食べるご飯はいつも以上に美味しい。
久しく味わっていなかった感覚が、やけに気持よかった。

夜になるとお店は馴染みのお客で賑わう。
そこで始まるタチートonステージ!!
カウンター越しにタチートさんはお客さんを相手に前夜のようなマシンガントークを展開する。
時には、それはやばいんじゃないのってゆうギリギリのところを攻める事もあるが
絶妙な切り返しでオチをつけてしまう見事な会話の構成力。

浅草には、現地駐在員の方以外にも短期出張者の方も訪ねてくるが
そういった方にも、話題を振れる引き出しの多さ。
これは一朝一夕で出来ることではないし、日々情報収集をしていなければ出来ない芸当だと思う。

誤解をおそれずに言えば、タチートさんこそ“口から生まれた”って言葉が当てはまる人はいないんではないか。
いやいや、ほんとに話の達人です。

さらにタチートさんのお母さんもやはり只者ではない。
御年82歳を迎える今も未だ現役で浅草のお店を元気に切り盛りしている。
(タチートさんは本業があるのでサポート役)
アグアスカリエンテスに住んだことのある人はみんなここ浅草でお母さんの料理に
遥か太平洋の向こうにある母国を思い出したことだろう。
タチートさんがメキシコで一番有名な日本人なら
お母さんは“メキシコに住む日本人の母”である。

そんな二人に惹かれて、お店には連日たくさんのお客さんが訪れる。
どうしても一度にたくさんのお客さんが来ると、同じタイミングで料理を調理することは難しいが
それでも待ち時間の間、お客さんたちはニコニコと会話を楽しんでいる。
むしろ、他のお客さんが来たときにお母さんのお手伝いで食器を下げたり、お水を出したり…
何か親戚のいる家に遊びに来ているような錯覚さえ覚えてしまうアットホームさだった。
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1 件のコメント:

  1. 私も、浅草へは 何度も行きました とくに 煮込みうどんが好きで サラマンカから 2時間以上かけて行っていました
    たいへん懐かしいです

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