2011年9月19日月曜日

レンタカーで楽々観光

さて、ラスベガスの日々は自転車旅から離れたサイドトリップなので
写真で簡単に振り返っていこうと思います。

決して手抜きではありませぬ。

苦労して手に入れたレンタカーで一路南下。
途中アリゾナを少ーしだけかすめてネバダに入る。

このたかだか20~30マイル程度のアリゾナ州だが見どころは充分。
ちょうどコロラドプレートの端っこを下っていくため、
道路は岩壁をすり抜けるように走っていて迫力満点。

下手な観光地をまわるより、ここをドライブした方が楽しめると思う。

ここを抜けるとネバダに入る。

面白いのはネバダに入った途端にカジノが登場する。
それも本当に唐突にミニラスベガスのような街が現れるのだ。
これは北からネバダに入っても、南のカリフォルニアから入ってもそう。
不毛の大地に突然大きな街が現れるところにアメリカの底力をちょっぴり感じる。

ここからさらに1時間ほど車を走らせるとラスベガスに到着。
凄まじき大都会。

車の交通量も多く、タクシーや宣伝カーがバンバン走っているので事故らないように
慎重に車を走らせる(ちなみに過去の旅行で一度事故ってるので特に気を使った)

目的のホテルに到着し、両親を探すとあっさり見つけることが出来た。
が、さっそくトラブル。
初めての海外で英語が出来ないなりにロスで何とか乗り換えは出来たもののロストバゲージ。
ロスまでは荷物は届いているようなのであとで取りに行くことに。
この手配は僕が到着する前のことだったが、先に到着していたエツコさんに全て交渉してもらった。
エツコさんは、故郷のご近所の酒屋の娘さんで米系航空会社に勤めていて、ここラスベガスで暮らしている。
初日はホテルに荷物を置いて、エツコさんの自宅にお邪魔することにした。

すごく立派なうちでちょっと緊張。
めちゃくちゃうまいサラミから始まりサラダを挟んでマグロ、ステーキととんでもなく豪勢なディナーを頂いてしまった。

そして、日本の心・納豆まで!!白飯で美味しく頂いた。

途中から旦那さんも帰宅してきて、賑やかに食卓を囲む。

ご飯のあとは、小・中学校の大先輩との会話を楽しんだ。
その時旦那さんが若い頃世界を旅した時のアルバムを持ってきてくれた。
その中には、各国の紙幣が丁寧にファイリングされていた。

国の歴史上の要人が印刷されたものや、国鳥(なのかな?)が描かれたものなど、どれも個性的で面白い。
僕も、これから集めようかな?

翌日、これまたフルーツ盛り合わせとコーヒーという優雅な朝食を頂いた後、観光に出かけることにした。
ラスベガスのようなネオン街もいいが、せっかくのアメリカなのでこちらならではの大自然を見に行こうと、少し強行軍だけどグランドキャニオンを経由してモニュメントバレーを目指すことにした。

ラスベガスを出ると再び、何も無い荒野へ出る。

キングマンを経てセリグマンで寄り道。




ルート66の面影が色濃く残るこの街でしばし休憩&観光をして車はさらに東へ。

グランドキャニオンの玄関口であるウィリアムズを経てグランドキャニオン到着。
この日は土曜日でウィリアムズの街ではちょうどピカピカのクラシックカーが集結し何かイベントをやっていた。







言わずと知れた大観光地のド・ハイシーズンなのでめちゃくちゃな人・人・人。

それでもコロラド川が作り出したこの自然の造形美に両親は満足したようで、DVDのおみやげなんかも買っていた。

日も暮れかかっていたので、このまま東に抜けてTuba Cityで宿をとろうと思ったのだけれど、
このあたりは極端に宿泊施設が少ないため、どこもいっぱいだった。
何とか探し当てた、合宿所のようなモーテルに投宿しこの日は終了。
3人で60$のモーテル。自転車旅だったらとんでもない豪華宿だけれど、
せっかくの海外旅行でシャワー・トイレも共用の質素なモーテルしか見つからず、ちょっと申し訳なかった。

次の日は朝イチで、モニュメントバレーを目指す。
途中のkayentaのマックで朝食しながら、メールチェックしているとイエローストーンを一緒に走った明石さんからメールがきていた。

“いまモニュメントバレーにいます”と。

なんちゅータイミング。
前の日に届いていたメールだったけれど、もしかするとこの先で会えるかもと車を走らせていると
早速、街を出たところで発見!

嬉しい再会となった。

15分くらい話した後、差し入れを渡して別れた。
なんかまたどこかで会えそうだなー。

しばらく走るとユタ州に入りすぐにバレーの入り口。
入場料を支払い駐車場に車を停めて展望台へ向かう。
そこには5年前と変わらず、巨大なメサが鎮座していた。
残念だったのは、この展望台の隣にものすごーく立派なホテルが出来ていたことだ。

昔は、この風景を一日楽しむには、ここでキャンプするしかなかったのに今ではホテルの客室から優雅に快適に眺めることができる。

しかも以前あったキャンプ場は跡形もなくなくなっていた。というかキャンプ場だった所にホテルが出来ていた。

それでも僕が以前キャンプしていたところは辛うじて残っていたのがちょっぴり嬉しかった。
ちなみに5年前
今。帰ってきたぞー!!
あの時は、夕暮れ時にとんでもない砂嵐に見舞われ、テントも吹き飛ばされかけたときにドイツ人家族に助けられて、彼らのキャンピングカーで一夜を過ごした。
その時に撮った写真がトップページの写真です。

ホテルまで出来てしまい、もはや、ここがキャンパーだけが存分に楽しめる場所でなくなった今、
それでもここで誰にも出来ない楽しみ方をしてやろうと、車に戻って調理器具を取り出し湯をわかした。

作ったものは…

素麺。

自転車で暑い中走っているときどうしても素麺が食べたかった。
食べるなら、とびきり暑くて、褐色の土地で食べたいと考えながら走っていた。

その思いを実現するために、わざわざ親に頼んで麺汁と素麺を持ってきてもらっていたのだ。
車なら冷たい氷の持ち運びも容易。

ということで見よ!
素麺@モニュメントバレー!!


どうでしょう?赤茶けた大地に、素麺の純白がよい清涼感を出していると思うのですが。

これを見たナバホ族の人たちは大ウケ、観光の欧米人は白い目…

さっそく食らいつく。

このシチュエーションなのでとにかくシチュエーションも含めて美味かった。
ここで素麺食べるやつはさすがにいないでしょう…

モニュメントバレーでの個人的な目的を果たした頃には両親も観光を終えたようだったのでここを後にすることにした。
が、ここで父親のメガネ紛失。
どうもサングラスを試していたときに外した模様。だがショップの店員に聞いてもないとの返事。
1時間ほど探したが見つからないので、諦めることにした。

メガネ探しに時間を取られている間に空模様がかなり怪しくなってきた。
kayentaの街に戻る頃には叩き付けるような雨になっていた。

街の郊外では鉄砲水も発生し、即席の川が道路を寸断していた。
僕らの車は車高が高かったので強行突破したが、それでも深いところでは少し流されかけてちょっとひやひやした。

心配だったのはこのルートを自転車で走っている明石さんだったが、後日聞いたところkayentaで今日はストップしていたそうで、安心した。

こんなすごい雨も1時間も走れば晴れ間が見えてくるのが、日本では考えられられないこと。
さっきのは幻?なんて思えてくるが、バックミラーに目をやると真っ黒な雲が雷を携えてドクンドクンと脈を打っている。

帰路のルートは同じ所を通って戻ってもつまらないのでグランドキャニオンの北側を迂回してラスベガスに戻ることにした。
このルートは自転車で後日通ることになるので、ついでに補給箇所も下見しておこうという魂胆だ。

グレンキャニオンダムにかかる大きな橋を渡る。

この帰りのルートだとザイオンも通ることができるので、ドライブがてらザイオンを突っ切って戻ることにした。
写真は取り忘れてしまったが、あの因縁のトンネルも再び通った。

車で通っても真っ暗すぎて緊張した。とゆうかこんなところ自転車で走るヤツいたら僕だったら確実に轢いていな。とんでもないところを走ってたみたいです。

その後Hurricaneの街のWalmartに寄って、SC(Super Center)初体験の両親。

ラスベガスの街に戻る頃には夜10時を過ぎていてクタクタでホテルのベッドに潜り込んだ。
二度と泊まれないクオリティ
4日目になる頃には、両親もだいぶアメリカにも慣れたきたようだったので午前中は二人だけで市内観光に出かけた。
僕は、ホテルでのんびり。


午後に仕事上がりのエツコさんと再び合流し、市内を案内してもらった。

ストラトスフィアの展望台から市内を一望。

両親もさすがにアメリカ料理に飽きていたので、晩ご飯は郊外のベトナム料理屋さんでフォーを食べた。

両親のラスベガス最後の夜は、T.Iホテルで上演されているMystereのショーを見に行った。
ショーは本当に圧巻で、音楽、照明、演出、衣装、パフォーマーどれも全てに魅了された。
パフォーマーの観客も巻き込むパフォーマンスも秀逸で、あっという間に時間は過ぎていった。


翌日は早朝の飛行機で両親は帰路につくのだが、ホテルに迎えに来るはずのツアー会社のスタッフが寝坊して大遅刻してきた。


両親にとって最初から最後までトラブル続きの初海外旅行だったが、無難な旅よりも印象に残った旅になったのではと思うとまぁこれはこれでよかったのかもしれない。

ちなみにカメラのデータをくまなく探したが、両親やエツコさんの写真はすべて両親のカメラで撮っていたようで僕のカメラには一切写っていなかった…

まぁいい。

大切なのは写真じゃない。

旅行中に父親が使っていた薬ケースを見てびっくりした。僕の使っているのと同じものだったのだ。

世の中に巨万とある薬ケースのなかで父子が同じケースをチョイスする。これを単なる偶然で片付けられるものなのだろうか。

そういえば、僕が名古屋で暮らしていたときに、母親が訪ねてきたのだがその時カバンに入っていた名古屋のガイドブックも僕が元々持っていたガイドブックと同じものだった。

つまりはこういうことですね。

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